11月です!発表会です(^^)

2011/11/01 18:09 に Hiroshi Miura が投稿   [ 2011/11/01 19:07 に Chisa Kurokawa さんが更新しました ]
国立芸小ホール内スタジオホール
開場12:00 開演12:30 生徒の皆さん腕を上げ、本番のプレッシャーにも
負けないよう練習に熱が入っています!! 今年の演奏は、皆さんまたまた一段とパワーアップ! 特に表現力はレベルを上げていますジャンルもクラシックからポップス、フラメンコ、ゴスペル、ボサノバなど多彩です(^^) 皆さんお誘い併せの上、是非聴きに来て下さい!!ご来場お待ちしております!!
 
そしてたまには音楽の話・・・・

松岡正剛の千夜千冊にこんな話が載っていました。

いったい古典時代と近代とのあいだで何がおこったのか。何が決定的な溝になったのか。本質的には「音楽」と「言語」が分離されたのが問題なのである。ひとつは楽譜、ひとつは楽器、ひとつは演奏法がそれぞれにおいて古楽からの連続性を失ったのである。

アーノンクールは、結局はアーティキュレーションの問題だったと言う。
 アーティキュレーションはドイツ語ではアルティクラツィオーンといって、母音と子音の発音のしかたのことをさす。これを楽器の演奏にあてはめると、音を繋げたり離したりするというレガートやスタッカートに、スピッカートやテヌートになる。いいかえれば、レガートやスタッカートは言葉の発音を伴う演奏だったのである
 ということは、言葉の発音には今日でも個人による独特のアーティキュレーションがあるわけだから、音楽においてもアーティキュレーションの表現は一定ではなかったのである。作曲者による作品楽譜でもアーティキュレーションは作曲者ごとにそれぞれ異なってもよかったのである。だからこそバッハは「一つの音型にはいくつものアーティキュレーションがありうる」と書いていた。少なくともバロック半ばまでは、これらのことはほとんど保持されていた音楽感覚だったのだ。
 それが近代に向かって一定の記譜となり、一定のアーティキュレーションとなり、一定の演奏法の奨励になった
 
ニコラウス・アーノンクールは オーストリアの 指揮者、チェロ奏者、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者、...
 
このことは日本も以前から指摘している人たちがいました。
民族音楽の中にはまだこの感覚が残っているものも多々あります。
それもグローバル化された商業音楽ビジネスに侵食されつつあり・・・
人々の音楽感性(その他の感受性に関与している可能性あり)の劣化を引き起こしていると思います。
悲しい、心痛むことですね(~~)
 
簡単に音楽が作られ、それを必要以上に儲けるために湯水のように垂れ流していく大人に影響される子供たち・・・
 
音楽は聴くのは楽しいけど、作ったり演ったりするのはそんなに甘いもんじゃない!
 
音楽の作り手としてもっと勉強してもっとがんばらねば!と思っている昨今です。
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